創立当時の様子

創立時関連年表

昭和

13

 8   1   東舞鶴市制実施 
14 12   1   舞鶴要港部、鎮守府復活 
15  3 12   三笠小学校設置決定 
   4   1   三笠小創立、新舞鶴小学校第1校舎を仮校舎として入学式を挙行する。 
   4 15  校章決定する。 
16  3  13  第一期工事竣工し、新舞鶴小学校の仮校舎より移転する。
   4   1  国民学校令により京都府東舞鶴市三笠国民学校と称する。
  12  8 太平洋戦争起こる。
17

 3

 4  校歌を制定する。 
18 5 27 舞鶴市と東舞鶴市が合併し、舞鶴市誕生。
19 4 22 全校舎完成し竣工式を挙行、この日を本校創立記念日と定める。

 
(本校沿革史年表より抜粋)

昭和13年8月1日に舞鶴市と東舞鶴市の市制実施、昭和14年12月1日、舞鶴鎮守府が復活し、軍事施設が拡張されるなど舞鶴海軍の重要性が高まるなか、人口も増加し、殊に東舞鶴市の児童数が激増した。殊に新舞鶴尋常高等小学校では、教室に入りきれない児童は廊下にまであふれ、窓をはずし廊下にも机を置いて勉強したという様子であった。児童数が3400名に達しようとし、その後も増加の様子が見られたため、1校を増設しなければならなくなった。
昭和15年3月12日、東舞鶴市字浜小字奥波崎に本校設置が府知事より認可された。校区は現在とほぼ同様で、当時戸数1586戸、人口6352人であった。
それに先だって同年2月に校地の整理に着手、4月より第一期建築工事に着工した。
昭和15年4月1日、東舞鶴市三笠尋常小学校が創立した。
新舞鶴小学校第1校舎(現白糸中学校)の大部分を仮校舎とし、午前11時より入学式が挙行された。新1年生は165名であった。
引き続き4月2日に新舞鶴小学校との分離式が挙行された。初代塩見校長以下17名の職員が任命され、児童数は854名、学級数は16学級であった。
校章は現在と同様で、東舞鶴市の市章を中央に銀色の鉾を三方に出したものである。
翌16年3月13日、校舎完成に伴い、新舞鶴小学校から現在の地へ2日間で移転を行った。
3月17日、新舞鶴小学校と本校の告別式が挙行された。続く3月19日本校開校式が挙行された。
3月20日第1回卒業式が挙行された。講堂はまだなかったため、廊下で式が行われた。138名の卒業生であった。
(三笠校 五十年の歩み寄り抜粋)